2014年03月03日

日中の平和構築に向けた地方自治体の友好都市政策の現状と展望


Current Status and Potential Role of the Friendship City Policy of Local Governments toward Peace Building between China and Japan
[pdf版]

早田 宰(早稲田大学)


はじめに

 世界の都市には海外都市と自治体レベルで姉妹都市、友好都市を締結しているものがある。東アジア、とくに中国と日本の都市は、過去の歴史をのりこえて平和・友好・相互発展の国際関係に向けて双方の自治体が努力してきた。
 国際的な関係構築には政治・軍事・経済・文化の4つのトラックがある。国際政治・外交は国主導のアプローチである。1972年の日中国交正常化を経て現在に至っている。軍事も国レベルである。第二次大戦後は平和維持、不再戦を原則としてきた。経済・産業レベルの提携は、国と地方自治体および企業によるものである。戦後処理開発援助から戦略的互恵関係へと関係を発展させてきた。文化は国もさることながら地方自治体レベルの友好・交流の占める割合が大きくなる。地方自治体同士の友好都市、姉妹都市が締結されてきた。
 近年は、中国とその周辺国との紛争圧力が高まっており、国際的に対応を迫られている。このような中で積極的平和のバランスを維持するための構造的な抑止力として、軍事ではなく、文化の友好が考えられる。積極的平和とは、ガルトゥング*1)によれば、軍事力を発揮できないように構造的に封じ込めることとされる。地方自治体レベルやさらに下位のコミュニティレベルで独自の経済、教育、文化等の友好政策を展開することは、それ自体が友好平和を築いていく要因となりうる。国レベルとは別に、自治体レベルが独自のレイヤーにおいて関係強化すること、マルチレベル(多層化)(図1)によって国際関係のトラックの多様化や緊張の緩和に寄与することが考えられる。
 中国においても地方自治のしくみや及ぶ範囲は日本とはかなり異なるが、その可能性がないとはいえないだろう。

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図1 マルチレベルガバナンス


1.研究の目的−積極的平和の自治体友好とは?

 本論は、平和構築の政策と計画の視点から日中の友好都市のネットワークについて考察する。これらのネットワークの歴史的経緯、現在の実態や機能はどのようなものであろうか。その成果や相互作用を見ることで、積極的平和の自治体ネットワークの意義や今後の展開可能性を考察したい。
 戦後レジームの中で、世界的に平和自治体の呼びかけや相互交流が実践されてきた。「平和首長会議(Mayors for Peace)」は、1982年の第2回国連軍縮特別総会で荒木武広島市長(当時)が提案し、世界各国の市長宛てにこの計画への賛同を求めた。 現在、世界158カ国・地域5,912都市の賛同を得ている(2014年3月1日現在)。その中で中国では、以下の7の都市自治体が加盟している。

・杭州(ハンチォウ)
・北京(ベイジン)
・大連(タァリィェン)
・福州(フゥチォウ)
・重慶(チョンチン)
・成都(チォントゥ)
・武漢(ウハン)     (以上7都市)


2.研究の方法

 それぞれの日本の友好都市、姉妹都市等は以下である。それによれば、日本側では複数の友好関係があるため、現在、17の都市自治体間の協定が締結されている(表1)。
 これらのネットワークを地図にすると図2のようになる。

表1 平和首長会議に加盟している日中友好姉妹
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図2  平和・友好都市のネットワーク地図(2014年現在)


 研究方法としては、日中の友好都市のネットワークの活動実態をウエッブサイトから把握する。国際間の重要な友好・交流活動については、その趣旨からほぼ概要はネットで公開されている。これらの情報をもとに17の友好活動内容の概要を把握し、その活動の特徴を考察する。
 さらに、その活動が生み出している記念碑的建造物、イベント等の成果と意味について、ネットでの担い手の書き込みコメント及び関係者の聞き取り調査から明らかにする。それをもとに平和友好の文化アプローチの可能性について考察することにする。


3.事例の類型と分析

 日中間に締結された17の友好自治体のネットワークは、以下の3つの分類できる。
(1)「平和都市→姉妹・友好都市となった事例」
(2)「姉妹・友好都市→平和都市となった事例」
(3)「中国と交流後、日本側が平和都市となった事例」の3つである。

 それぞれについて現状をみておく。多くの記事、写真はwebでの紹介記事に依っている。

1)平和都市として姉妹・友好都市になった事例

 日本、中国の自治体とも、すでに平和首長会議に加盟しており、その平和都市同士が友好締結したことになる事例である。重慶と広島市、杭州と浜松市の2事例がある。

@重慶と広島市
 日中戦争時代の1938年〜1946年、蒋介石の国民党政府が南京から重慶に移された。中国共産党との対立で不安定な状況となり、中央直轄市とされた。戦後1945年には重慶解放碑(図3)が建設されている。1949年に国民党が台湾へ移ると中央直轄市の指定は解除された。その時期は内陸部の主要都市としてとくに発展した。その後、沿岸部開発が重視されるにともなって重慶は経済発展中心から外れた。
 しかしその後再び活性化してゆく。日中友好にも努め、1986年10月、重慶と広島市は友好協定を締結した。広島市は平和首長会議の呼びかけ団体でもある。戦争や紛争からのレジリアンス(復興)という都市課題が共通していた。その後、1997年3月に再び中央直轄市に昇格した。西部大開発の拠点と再度位置づけられたためで、その後飛躍的に発展して現在に至る。

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図3 重慶の解放碑[1]

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図4 王重慶市長の歓迎の木琴演奏(2006年)[2]

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図5 重慶の日の二胡演奏(広島市)[3]

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図6 重慶料理の試食(広島市)[4]

 日本中国友好協会広島支部や市などでつくる実行委員会が開かれ交流が続けられている(図4・5)。沖縄県・尖閣諸島(中国称“釣魚島”)をめぐる日中対立の影響で、2012年度と2013年度は重慶市長の祝辞は届かなかったが、2013年度は菓子など記念品が送られてきたという*3)(図6)。

A杭州と浜松市
 杭州市は人口800万人の副省級市の都市である。2012年4月、杭州と浜松市は友好協定を締結した。すでに静岡県と浙江省では30周年の交流があり、それを市レベルに展開したものである。湖水の景観、茶・みかんなどの特産品に共通点がある。

2)友好都市として始まり平和都市となった事例

 日本、中国とも最初は平和首長会議に加盟していなかったが、友好締結後にそれぞれ加盟した事例である。杭州と岐阜、大連と北九州、武漢と大分市、福州と長崎市、福州と那覇市、大連と舞鶴市、成都と甲府市の7事例がある。

@杭州と岐阜市
 1979年に友好都市を杭州からの申し出により締結した。中国と日本の姉妹都市、友好都市は多いが、現在、双方とも平和都市である縁組みとしては、もっとも古い事例となる。岐阜市が加盟したのは、2013年1月と比較的新しい。
 岐阜市と杭州市は、中国人殉難者の遺骨送還などから、徐々に交流が始まったという。1956年には東別院(岐阜市大門町)にて慰霊祭をすでにおこなっている。1962年には平和と友好を誓いあい碑文をお互いに贈りあうことにした。翌年、岐阜市の日中友好庭園と、杭州市の柳浪聞鶯公園にそれぞれ両市長の名において設置された。岐阜市の碑(図7)には、「中日両国人民世世代代友好下去(中国、日本の両国市民は、代々友好的に付合っていきます)」とあり、杭州市の碑(図8)には「日中不再戦」とある。

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図7 中日友好の碑(岐阜市)[5]

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図8 日中不再戦の碑(杭州市)[6]

 これらの杭州市と岐阜市の取り組みは、日中国交回復の10年も前に友好の活動として市民と市で独自に始められたものである。
 その後、1979年2月21日に両市間で友好都市が締結されることになる。
1989年の10周年には、岐阜市の日中友好庭園が設置(図9)、「杭州門」が設置された(図10)。西湖十景の島として有名な三譚印月にある門を模したものである。正面入口に掲げられた「我心相印」の文字は相互の心と心が通じ合うという意味である。

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図9 日中友好庭園(岐阜市)[7]

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図10 杭州門(岐阜市)[8]

A大連と北九州市
 1979年に友好都市を提携、81年には大連で公害管理講座を開催するなど友好を深めてきた。北九州市では「NPO法人北九州市大連交流協会」も設立されている。35周年記念ではアカシアの木の植樹が長浦公園(八幡西区)で執り行われた。

B武漢と大分市
 武漢と大分市の交流は、新日鉄大分製鉄所と武漢鋼鉄公司との間の技術提携に始まる。1979年に友好都市を提携した。1984年には5周年を記念して、庭園「武漢の森」が平和市民公園の中に開設された(図11)。市民の憩いの場になっている。

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図11 武漢の森(大分市)[9]

C福州と長崎市
 江戸時代、長崎は対中貿易港として栄え、最盛時には約1万人の福建省出身者を中心とした中国人が住居した。1698年大火後に形成された新地町(図12)は、横浜・神戸とともに三大中華街といわれる。崇福寺(長崎市鍛冶屋町)は1629年に創建された黄檗宗の寺で、福建省福州出身の中国人が建てたものである。第一峰門(図13)と大雄宝殿は日本の国宝に指定されている。1980年に友好協定を締結している。福州市の協力によって石畳が整備された。
 1980年9月21日に、長崎市香焼町に「日中不再戦の碑」(図14)が日本中国友好協会長崎県支部によって建立された*4)。また、1981年には、長崎市民有志によって「外国人戦争犠牲者追悼・核廃絶人類不戦の碑」(長崎市平野町)(図15)が建立され中国、韓国を含む犠牲者の慰霊と平和の願いがこめられた。


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図12 新地中華街(長崎市)[10]

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図13 崇福寺 第一峰門(国宝)(長崎市)[11]

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図14 日中不再戦の碑(長崎市香焼町)[12]

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図15 外国人戦争犠牲者追悼・核廃絶人類不戦の碑(長崎市平野町)[13]

D福州と那覇市
 福州は全世界へ華僑を送り出してきた。米ニューヨークにも福州コミュニティが存在する。
 那覇と福州は古来より琉球と中国の重要な交流ルートのひとつであった。那覇の久米村には「久米三十六姓」とその子孫が定着した。中国の閩(びん)という現在の福建省付近から渡来し定住した集団である。琉球と中国の貿易や平和的交流の媒介役を果たした。居住地は城壁で囲われていた。日清戦争後に帰国した人もいたが、そのまま日本に定住した人も多かった。
 那覇とは1981年に友好都市を締結した。福州が1985年に、那覇が2008年に平和首長会議に加盟している。したがって平和都市同士の友好関係としては5年を経過したことになる。2002年、友好都市締結 10周年記念事業として庭園「福州園」(那覇市久米)(図16)が建設された。

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図16 福州園(那覇市)[14]

E大連と舞鶴市
 日露戦争後に日本は満洲を占領、大連を租借した。1945年の返還まで舞鶴から定期航路が設定された。戦後、舞鶴は引揚港となった。
 1982年、友好都市提携が実現した。近年は物流が活発化し、1999年定期コンテナ航路が開設された。舞鶴市の「NPO法人舞鶴国際交流協会」では、教育、文化、スポーツ、経済交流をおこなっている。

F成都と甲府市
 1984年9月、友好都市となった。また山梨県と四川省も友好県省を締結している。地理、地形、産業などの共通性が多いことが理由である。
 経済交流、四川省のパンダの借入、文化ウィークなどをおこなっており、近年は教育視察団が交流をしている。

3)中国と交流後、日本側が平和都市となった事例

 中国側の都市は平和都市で、日本の都市が友好締結後に平和都市となった事例である。それに該当するものとして、杭州と福井市、杭州と狭山市、重慶市江津区と都城市、重慶市と水戸市、杭州と松江市、杭州と上尾市の6事例がある。

@杭州と福井市
 1989年11月友好都市締結した。さらに20周年では、民間団体レベルの交流を広げ、ふくい市民国際交流協会と杭州市人民対外友好協会が、協議書を取交し、新たな協力体制の構築を約束した(図17)。

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図17 民間団体同士の交流(杭州と福井)[15]

A杭州と狭山市
 1996年7月、杭州市団の狭山来訪、経済交流懇談会をきっかけに友好交流都市を締結した。特産の茶を通じて文化交流(図18)、マラソン大会などスポーツ交流などがおこなわれている。

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図18 狭山茶での茶道交流(杭州)[16]

B重慶市江津区と都城市
 1940年、江津出身の聶栄臻元帥が救った孤児を都城に送り返した縁で交流が深まった。1999年11月、友好交流都市を締結し、それ以来交流がおこなわれてきた。江津市は2006年合併して重慶市江津区となったが、中学校同士の教育交流が続いている。区レベルで交流をおこなっている貴重な事例といえる。

C重慶市と水戸市
 1985年、中日友好協会の水戸訪問が縁で交流が始まり、2000年6月、友好交流都市の提携合意がなされ、相互訪問をおこなっている。2002年1月、千波湖畔に、「重慶広場」(図19)が開設され、同年4月、茨城県日中不再戦之碑顕彰会により日中不再戦之碑(図20)が建立されている。これは、杭州市西湖畔に建立された日中不再戦之碑にならったものである。また博物館展示の協力を記念したモニュメントも設置されている。

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図19 重慶広場(水戸市・千波湖畔)[17]

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図20 日中不再戦之碑(水戸市・千波湖畔)[18]

D杭州と松江市
 2013年10月、杭州と松江市は友好協定を締結した。杭州との友好都市は多いが、とりわけ松江市は杭州事務所を独自に設置しており、経済、観光、国際交流事業、職員相互派遣研修などを幅広くおこなっていく方針である。

E杭州と上尾市
 2004年3月、杭州と上尾市は友好提携を締結した。かねてより 経済交流が行われており、上尾市に工場が立地する日産ディーゼルと杭州の東風汽車公司が合弁会社を設立したことなどが友好の推進要因となっている。


4.自治体友好と国際問題との関係

 中国の大都市(都市規模の上位40都市人口、100万人以上)について、2012年9月に中国の各都市でおきた尖閣諸島の日本国有化に反対する大規模同時多発の反日示威活動から都市別に考察する。
 2012年9月の反日デモは尖閣列島を国有化した9月15日から生じたものであり、国際レベルの問題に対して各地域レベルで反応が表出した。
 規模について正確な参加者数の把握は困難であるが、マスコミの報道発表の情報をもとに図にした(図21)。大規模とは、おおむね数百人以上と「小規模」とは「なし」または100人以下で区分した。
 その結果、「大規模」に実施された都市としては、上海、北京、香港、武漢、広州、瀋陽、南京、ハルビン、西安、成都、長春、杭州、済南、太原、青島、鄭州、石家荘、昆明、蘭州、シ博、長沙、南昌、貴陽、無錫、蘇州、徐州、合肥、深セン、がある。
 一方、「なし」または「小規模」の都市としては、天津、吉林、重慶、大連、烏魯木斉、鞍山、唐山、撫順、福州、包頭、斉斉哈爾、邯鄲の12都市がある。このうち、重慶、大連、福州の3都市は友好都市である。重慶では、9月は大きな動きは当初みられなかったが、遅れて10月26日に起きている。
これらの現状からいえることは、自治体間同士で友好都市であったとしても、北京、杭州、武漢、成都の4都市ではデモが生じており、国際レベルの問題に対しては別なものとして反応する、またはせざるをえないことがわかる。ただし別面で、友好都市はデモに消極的であった可能性も否定できない。
 これらが意味するところは、友好都市という自治体の締結関係が国際レベルの問題に強い歯止めになることはないが、友好関係を積極的に育み重ねてきた都市では、相互理解にもとづく対話の可能性が残されているといえるのではないだろうか。

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図21 2012年9月の中国各都市における示威活動[19]
(クリックで拡大)


5.今後の友好都市づくりに向けて

 日本と中国の自治体レベルの友好の現状をみてきた。最後に今後に向けて友好への期待やそのあり方や考察をしたい。その交流の深め方は以下の5つに整理集約できるであろう。

1)交流の経緯の多様性を活かす
 第一は、その交流の経緯の多様性を活かすことである。その友好のタイプは、@北京と東京都という首都同士のもの、A福州と那覇、長崎のように、その交流を江戸時代の通商貿易にさかのぼるもの、B大連と北九州、舞鶴のように、満州国との往来に端を発するもの、C杭州と岐阜市、重慶と広島市、重慶江津区と都城市のように、日中戦争の歴史をふまえて平和への願いによるもの、D成都と甲府市、または杭州市と浜松市のように、地形、地理、農業などの共通性を理由としたもの、E武漢と大分、杭州と上尾市のように、近代以後の経済産業、とくに製造業の発展における提携をきっかけとしたもの、F市長や友好協会など民間団体の訪問をきっかけとしたものなどがある。
 これらはどれかひとつということはなく、相互に関連するものであり、日本と中国の深いつながりを意識させるものである。

2)友好の多様な分野・テーマの広がり
 第二は、友好の多様な分野・テーマの広がりである。始まるきっかけは前述のように多様であるが、平和、文化、スポーツ、教育、産業、物流まで多岐にわたり総合的に広がっていく。成都と甲府市のパンダの借入などは人々の記憶に残る典型事例であろう。また、重慶への広島市の職員の派遣など環境ガバナンスなどへの広がりも見せていることも新しい特徴である。杭州と福井市における民間団体同士の協定締結などにも発展していく可能性もある。経済レベルでは重慶と舞鶴市の定期コンテナ航路、重慶と広島の空路の直行便(中国国際航空)の運行に至っている例もある。

3)記念碑的建造物の建立
 第三は、記念物である。植樹なども有意義であるが、とりわけ碑的建造物の建立は重要である。中でも石碑の建立は具体的で訪れる者に恒久の絆を意識させ、大きな意義をもつ。とくに岐阜市の「世世代代友好」の碑や杭州の西湖畔に設置された日中不再戦の碑が来訪者に感銘を与え、水戸市の不戦の碑の設置につながったように、記念碑は広がりが生まれ平和、友好上から意義深い。また自治体ばかりではなく、市民有志で設置された長崎市の外国人戦争犠牲者追悼・核廃絶人類不戦の碑なども平和友好を意識する機会の多様性につながっていくといえる。

4)現地事務所の開設
 自治体にとっては、中国との窓口を北京や上海に置くところが少なくないが、友好都市に事務所を置くところがある。北九州市の大連事務所、大分市の武漢事務所、松江市の杭州事務所が該当する。
 ただしこれらの機能を維持することは簡単ではない。甲府市では成都に商工会議所の事務所を置いた経緯があるが、現在では活動を休止している。経済的に取引や往来が活発になるのであれば日常の組織的な活動の基軸となるため重要である。

5)公園の建設による平和都市づくり
 第四は、公園の建設である。それは、都市そのものがその構成要素として平和友好都市づくりの空間を包摂することを意味する。多くの人がそこを訪れ憩うことで、友好の重さを日常的かつ体感的に理解することができるからである。那覇市の「福州園」、水戸市の「重慶ひろば」、岐阜市の「日中友好庭園」、大分市の「武漢の森」などがある。その効果は前述の3に加えて計り知れないくらい大きなものである。

6)市民社会意識への浸透
 以上の5つの深め方の複合は、各都市で多様である。自治体レベルの友好は目下のところ友誼的交礼的なものも多いのも事実である。その中にあっても、記念碑的建造物の建立、現地事務所の開設、そして平和都市づくりへと展開することは大きな意味をもつ。表面的なセレモニーに留まるのではなく、経済的、政治的に深め、さらに民間レベルの多様な交流を活発化させる契機となりうるものである。それらによって市民の国際的な隣人意識、朋友意識の深いレベルに根づいていくことにつながることになる。
 自治体レベルの友好はあくまで自治体同士のものであり、国レベルの政治的、軍事的なイシューを左右するような直接的な影響力をもつものではない。特に中国の場合、各市の市長は党の中央集権体制によって任命されるのであって、市長のイニシアチブによる自治体レベルからの平和政策の実現というのは現実的には考えにくいだろう。
 そのような中にあって、市民社会意識に浸透していくことで、中長期的に意味をもつことが期待されるのではないだろうか。


まとめ

 本稿は、自治体友好都市、姉妹都市等の縁組が、国際平和に果たしている現状とその可能性について考察した。データは、自治体やマスコミ等で公表・発表された活動をもとに再編集し考察した。17の友好は個々に多様であるが、重慶、大連、福州等の友好都市との平和構築の歩みは興味深く、どのように市民の社会意識が働いているのか、今後の考察の課題としたい。
 自治体友好それ自体が国際平和の危機に対して強い歯止めとなることは考えにくいものの、長い友好関係を育む契機となり、経済、文化、政治、軍事との複合的な相関で構造的に平和的な抑止力を構成する要因となりうる。可能性の仮説的な枠組みであり、新たな調査にもとづき考察を続けてゆきたい。


脚注
*1) 市民・自治体は平和のために何ができるか−ヨハン・ガルトゥング平和を語る−,三鷹市・ICU社会科学研究所(1991)
*2)平和首長会議のwebsiteは以下である。
http://www.mayorsforpeace.org/jp/
*3)菓子の麻花(マーファー)などが贈られ、試食に供された。詳細は以下に詳しい。
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/ircd/info/repo-to-naiyou%2081(jukei2012).html

写真の引用元
[1] wikipedia重慶解放碑
[2] 重慶広島友好20年王市長の木琴演奏による歓迎
http://news.sina.com.cn/c/2006-10-25/024010316471s.shtml
[3] 重慶の日
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=20131021142110842_ja
[4] ひろしまファンクラブ
http://www.city.hiroshima.lg.jp/keizai/fanclub/bn/191018.html
[5] 杭州と岐阜の間の友情
http://blogs.yahoo.co.jp/diapalace103/33316039.html
[6] 西湖十景・柳浪聞鶯
http://www.xian-net.jp/hangzhou/page/p6.htm
[7][8] wikipedia日中友好庭園
http://ja.wikipedia.org/wiki/日中友好庭園
[9] 武漢の森http://2.bp.blogspot.com/-zByXBnlNH94/T1Q6uHf_WCI/AAAAAAAABRc/Jl-u-OEG7hE/s1600/02.関+貢「武漢の森」.jpg
[10] 長崎新地中華街
http://ja.wikipedia.org/wiki/長崎新地中華街
[11] wikipedia崇福寺
http://ja.wikipedia.org/wiki/崇福寺_(長崎県)
[12]日中不再戦の碑(長崎県商工団体連合会web)
http://choshoren.blog.fc2.com/blog-entry-488.html
[13] 外国人戦争犠牲者追悼・核廃絶人類不戦の碑
http://www.mapple.net/photos/H0000134638.htm
[14] 福州園
http://ja.wikipedia.org/wiki/福州園
[15] 杭州と福井市20周年
http://www.city.fukui.lg.jp/kurasi/mati/international/hangzhou20.html
[16] 狭山市と杭州市10周年
http://www.city.sayama.saitama.jp/kids/news/2006/1003.htm
[17][18]
2010.05.26 重慶ひろば
http://mitoaoi.blog50.fc2.com/blog-entry-756.html
[19] 地図に報道された情報を加筆した



(2014年3月3日掲載)
posted by 早稲田大学早田宰研究室 at 12:23| 日記