2014年02月24日

第7回まちはみんなでつくるものフォーラム(川口市)に参加


2014(平成26)年2月24日(月)15時からフレンディアで開催されました。主催は、協働推進委員会・まちはみんなでつくるものフォーラム実行委員会・川口市。学生2名が参加しました。

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posted by 早稲田大学早田宰研究室 at 23:45| 日記

2014年02月23日

積極的平和の都市づくり・ハルデン(ノルウェー)


Resilient City of Halden, Norway; Through the Positive Defense Logistics in the Local Government Level
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早田 宰(早稲田大学)


はじめに

 自治体レベルの積極的平和による都市づくりについて、都市のレジリアンス(被災後の回復政策)の観点から考察する。平和について国と地域はどういう関係にあるであろうか。軍事政策は基本的に国の役割であるが、仮に国家間の緊張が高まるような場合、紛争地域などのローカルレベルの自治体は、どのような独自の平和維持政策をとることが考えられるであろうか。ノルウェーの国境のまち・ハルデン(Halden)は平和の都市づくりによる緩和策が段階的・積極的におこなわれてきたことで知られる。その歩みから平和の都市づくりの過程を考察する。


問題意識−積極的平和の都市づくりとは?−

 他国からの侵略に対して平和を維持するために、軍事力を行使せず、消極的に批判や拒否をしていても緊張状況の緩和や有事の回避が可能となるわけではない。
 問われるのは積極的平和である。積極的平和とは、ガルトゥング*1)によれば、軍事力を発揮できないように構造的に封じ込めることである。平和と民主主義の本質は、多種多様な意見や対話の存在を認めあう多元化にあるとされる。地方自治体が、それぞれ独自の外交政策を展開することは、それ自体が平和を築いていくための要因となる。その観点から、政治的、経済的、文化的、軍事的な政策の複合によって構造的に暴力的手段から都市を解放することが考えられる。
 では、ローカルレベルの自治体レベルではどのようなことが考えられるであろうか。積極的平和による自治体主導の平和の取り組みとは、以下の4つから構成される。

1)政治的レベル 姉妹都市の縁組を世界に広げる(建設的、良識的な交流)
2)経済的レベル 自治体間の通商関係を発展させる(国家間・企業間に加えて)
3)文化的レベル 国際的なテーマでの交流を深める。例・会議・シンポジウムなどの開催
4)軍事的レベル 自治体レベルの防衛政策

 この中で備えとなるのは、軍備と全く違う防衛政策である。ガルトゥングは、侵略にそなえること、占領しにくい「消化不良」を強いる=占領されても征服できない都市をつくることとしている。それは実際にどのようなものであろうか。


1.ハルデンの概要

 ハルデン市は、ノルウェーの国境の人口31,344人(2013年1月4日現在)のまちである。デンマークとスウェーデンの国境の軍事要地であり、第二次大戦中はナチス・ドイツによる占領の苦い経験がある。

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図1 ハルデン(Halden)の街なみ[1]

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図2 ハルデン(Halden)の位置[2]

 ハルデンの旧都市名は、フレッドリクステン(Fredriksten)で、丘や坂の都市を意味する。国境の要所で、フレッドリクステン要塞が築かれた。年は、地形的にの要塞のある丘と海に囲まれて、中心に向かって内向きの構造をしている。港は16世紀には木材の出荷港(主にオランダとイギリス向け)として栄えた。軍事的には、スウェーデンの度重なる攻撃に抵抗する拠点であった。
 ハルデン市は繰り返し、火災によって破壊されている。1826年が最後の大火災があり市の大半は壊滅した。その後に全体的な都市計画により再生された。 

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図3 フレッドリクステン1884年地図[3]

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図4 フレッドリクステンの城壁[4]

 その後、近代には、1892年から1998年ハルデンには17の靴工場があり、ものづくりのまちとして栄えていった。


2.非武装中立期(1905-1940)平和への準備期

 1905年ノルウェーはスウェーデンから独立し、王国として承認された。スウェーデンからの軍事的脅威を引き続き恐れつつも、軍事的緊張を緩和し、武装解除に向けて動いていく。同年9月23日。ノルウェーとスウェーデンの国境に中立地帯が設立された。軍事要塞は取り壊さなければならないことになった。要塞の軍事施設は一部の歴史的記念物のみが保存され、あとは消滅した。第二次世界大戦前の1922年までは、小さな建物のみが城には存在するのみであった。都市名も、心機一転1928年にハルデン(Halden)と改名された。


3.ドイツ占領期(1940-1945):衝撃的被災

 第二次世界大戦期、1940年にドイツ軍が侵行した。ハルデン市はあっけなく占領されてしまった。1945年までの5年の間、ドイツ軍のスウェーデンに対する国境管理を行う要地となり、フレッドリクステン要塞が再び軍事的に使用された。倉庫として、抵抗戦の拠点として使用された。

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図5 ドイツ軍によるシュナイダー砲[5]

 花崗岩のブロックが、斜めの角度で配置され、障壁の開口部は、大きな岩で閉じて敵の進行を止めることができた。崖の表部には機関銃の銃座が設置された。鉄道に向かって防御壁が設置された。道路は要所で破壊することができるようになっていた。現在のハイキングコースの外側に、いくつか緩く積み重ねた石があり、1940-1945年にドイツ軍が要塞の防衛力を補強した跡として残っている。要塞は市街地から孤立しており、また防衛が難しく、一時の勢いで占領しても継続的征服するのが難しい都市となっているのである。
 この5年間が、ハルデンにとって、大きな経験となっている。平和をめざして要塞を撤去してきたそれまでの35年の時計の針が一気に戻されると同時に、非武装の都市づくりが、ある意味で敵の侵攻時に防衛機能を果たしえない都市にしてしまったことについて思い悩ませることになった。


4.平和都市への転換期(1945-2005)

 第二次大戦が終結し、ドイツ軍が去った後、ハルデンは、大戦の経験を乗り越えて都市づくりをはじめる。ノルウェー陸軍士官学校が1946年に再び入ってくることになる。1947年に防衛大学校と予科学校がフレッドリクステン要塞に設置された。
 しかし、それは再軍備化を意味しない。1905年からの武装解除をめざす歴史を重ねてきた重さがある。軍備を徐々に抑制・縮小し、ハルデンは「積極的平和」の都市づくりをめざしていった。大学校は1969年まで、予科は1982年まで続けられ廃止された。その跡に、軍事管理学校が1983年に設置された。2002年にノルウェー防衛政策学校(Norske Forsvarets logistikkorganisasjon(FLO)/英=Norwegian Defence Logistics Organisation;NDLO)に統合された。平和、危機または戦争時におけるすべての兵器システムと軍事物資の調達、投資、サポート、供給の維持。通信とコンピュータシステムを管理する。この中に防衛政策(forsvarspolitikk)のセクションがおかれた。NDLOは現在のアーケシュフース(Akershus)要塞に移されるまではハルデンに存在したが、最終的に2005年秋に軍事都市の名残はほぼ解消されることになった。

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図6 ハルデンの歴史文化観光地図[6]
 
 この間、要塞の周辺は軍事的理由から人家の集中は避けられてきた。そのため広大な緑の緩衝空間が維持されていることに注意すべきである。仮に軍事的に攻められても要塞やその周囲は最低限の民間の被災にする「減災」について十分に考えられている。かつ仮に占領したとしても、市街地とは分断されており、完全に征服することは地形的に容易ではない。逆に外からは無防備で格好の標的としてさらされることになる。これが占領の「消化不良」の意味である。


5.歴史・文化都市へ(2005年以後)

 ノルウェーにあった14の要塞は順次、軍事施設から歴史的遺産・文化施設に移行する方針が示された。
2000年に要塞の運営・維持の管理責任は軍から防衛施設の解体・管理部門に移された。 2004年から、全国要塞は、軍事機能を放棄、武装解除、建物の保全、新たな開発をする役割を担った。
 現在、要塞は歴史遺産として、体験型の文化・商業・観光・コンサートの場として開発され、収益をあげている。城壁の周辺の緑地はゴルフコース、ハイキングコースとして利用されている。

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図7 要塞での中世ディナーの風景[7]


まとめの考察

 ノルウェーのスウェーデン国境のまちハルデンを事例に、積極的平和の都市づくりの考察をおこなった。第二次大戦後、1945年から2005年までの60年間におこなっていた軍縮と防衛政策を基調とした都市づくりを考察した。中世以来の天然の難攻不落の要塞の形態を維持し、近代には高射砲、機関銃などの近代的軍備を充実した都市に転換、戦後は、防衛政策による平和のマネジメントの拠点を経て、現在は歴史文化都市をめざしている。
 軍事力により抑止力を発揮するのではなく、また即時に軍備を解消するのでもなく、いわば"睨み"をきかせながら隙をつくらずに軍備を縮小していく、攻めさせないしなやかな都市づくりのプロセスであったといえる。
 ハルデンの平和都市づくりは、中央政府の平和方針の影響が大きいことはいうまでもないが、ローカルレベルの平和の希求やそれを実現する前国家的な自らの都市づくりが主導力になっている。それが中央主導の国際関係と並行しながら接合されたものといえる。地方自治体は、独自の平和の都市づくりの戦略を持つべきであり、また持てることを示唆している。
 本稿では都市の過程の概要について述べたにすぎない。今後、防衛政策の変遷、社会意識、マルチレベルガバナンス、平和外交、文化政策、経済政策などについて分析していきたい。

(脚注)
*1)市民・自治体は平和のために何ができるか−ヨハン・ガルトゥング平和を語る−,三鷹市・ICU社会科学研究所(1991)

(参考)
ハルデンの歴史
http://www.verneplaner.no/?f=fredriksten&id=23817&a=4

(写真引用元)
[1] http://www.kaserna.no/?paged=2
[2] Google mapを利用
[3] http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Halden_map_1884.jpg
[4] http://en.wikipedia.org/wiki/Fredriksten
[5] http://hem.fyristorg.com/robertm/norge/Weapons_reference.html
[6] http://imapas.no/tegning-over-fredriksten-festning-2012/
[7] http://www.visitnorway.com/en/Where-to-go/East/Halden/What-to-do-in-Halden/Dining-in-Halden/

posted by 早稲田大学早田宰研究室 at 19:19| 日記

国民意識と戦意についての国別比較−2005年まで−


 国民の価値観は長い時間のなかで歴史的・文化的に形成されるが、社会情勢、マスコミ、政府など時々の社会的・政治的な影響も受ける。平和について、世界価値観調査*1から、価値衝突*2について考察をおこなう。

 ディエズ=ニコラ(2010)*3による国民意識の国際比較データをもとに考察する。「愛国心(国民であることに誇りに思うか?)」と「国のために戦うか?」についての個人の意識を調査している*4。愛国心とは、国民であることに誇りに思うかを問うものであり、地域空間としての国土を愛するかを問うものではない。また、国のために戦うという表現については、それ以外のための戦い(宗教、地域、民族など)は含まない。1981〜2005年の間に5年ごとに各国の1,000人の無作為抽出による調査をおこなっている。その回答のデータを再考した。

 「愛国心」と「国のために戦う」のふたつの軸でのクロス集計の結果を(表1)にまとめた。以下の「高い・低い」の表現は価値判断を含むものではないことを記しておく。

世界価値観調査2005.jpg

 結果、「愛国心」と「国のために戦う」の両方とも高い数値となったのは、トルコとメキシコの国民である。また北欧諸国の国民は、平和をのぞむものの、やむをえない場合は「戦う」という意識が高い。
 愛国心が高いが、国のためには戦わない国民としては、カナダ、スペイン、イギリス、南アフリカ共和国、アルゼンチン、チリなどがある。国のために戦うものの愛国心が高くない国民としては、中国、韓国がある。一方、「愛国心」「戦う」ともに低い国民として、日本、ドイツ、オランダがある。

 つづいて経年変化について考察する。
 意識の変化(図1)をみてみる。1981〜2005年の間の変化のデータである。

社会意識の変化.jpg

 日本国民は「愛国心」「国のために戦う」意識とも、ほとんど変化がなく、低いまま推移している。
 アメリカ国民は、「愛国心」が非常に高いが、徐々に下がりつつある。「国のために戦う」の意識は「やや高い」ままであまり変化はない。
 ロシア国民は、「国のために戦う」の意識は「やや高い」ままで変化はないが、「愛国心」がやや高まっている。
 ドイツ国民は「愛国心」「国のために戦う」の意識とも低いが、「愛国心」は徐々に上がる一方、「国のために戦う」はますます下がりつつある。
 中国国民は、「愛国心」は「やや低い」から「低い」へ近年大幅に減少しつつある。「国のために戦う」の意識は、もともと高く、依然として高いが、00年以後はかなり減少しつつある。
 韓国国民は、「愛国心」は「やや低い」から「低い」へ近年大幅に減少しつつある。「国のために戦う」の意識は、もともと「高い」が、90年代一時期さらに高まった。依然「高い」ものの、00年以後はかなり減少しつつある。

 本考察は、2005年までのデータによるものであり、その後の調査が注視される。

(注)
*1 世界価値観調査(WVS)は5年に1度、世界の社会科学研究機関の協力で実施されている純粋な学術的調査研究である。
*2 価値衝突(conflict values)の研究は、ガルトゥング(1970年代)やハンチントン(1993)からの系譜がある。
*3 出典:Díez-Nicolás, Juan (2010). “Cultural Differences on Values about Conflict, War and Peace.” World Values Research 3(1):1-19.
*4 あくまで個人の意識の平均であり、その中に多様な意見があることはいうまでもない。また国民に共有された集合的な社会意識とも異なる。もちろん政府としての見解や態度ではない。
posted by 早稲田大学早田宰研究室 at 19:02| 日記